「あ」という、たった一文字から始まったこのブログ。
前回、震える手で最初の一歩を公開した瞬間、私の中に小さく、けれど熱い気持ちが芽吹きました。
今日は、私が人生のどん底で掴み取った「衣・食・住」の美学と、そこから生まれた「心の整え方」についてお話しします。
世の中には「贅沢は敵だ」とか「安くて手軽なのが一番」という声が溢れています。
私だって、100円均一のお店は楽しくて好きだし、お世話になっています。
お金がないときは、セカストの服に助けられていたこともあります。
それでも、わたしが辿りついた正解は、
「なぜ、その一品が自分の魂を震わせ、エネルギーを底上げしてくれるのか」
それを理解し、選ぶこと。
それこそが、一人の女性として、凛として生きていくために必要なことだと信じています。
この記事が、毎日を必死に生きるあなたの心に、一筋の光を届けるヒントになれば嬉しいです。
中学2年生の夕暮れ、私の世界から色が消えた日
私がこれほどまでに「環境の心地よさ」に執着するようになったのは、ある切実すぎるきっかけがありました。
実は私、中学2年生の頃から「坐骨神経痛」という、鋭い痛みの同居人と共に生きてきました。40代の今なら、同じ悩みを持つ人と「辛いよね」と笑い合えるかもしれません。でも、多感な思春期の入り口にいた私にとって、それは絶望以外の何物でもありませんでした。
スポーツをしていたわけでもない。ただの、普通の下校中でした。
突然、腰から足にかけて、稲妻のような痺れとともに、ズドーンと重い痛みが走ったのです。
[風景写真:沈みゆく夕日と、一人取り残されたような静かな帰り道]
軽やかに歩いて遠ざかっていく人々を横目に。
私だけが、一歩踏み出すたびに走る激痛に耐え、文字通り、地面を這うようなスピードで家を目指す。あのときの、謎の痛みの恐怖と一人で歩いていたときの心細さは、今思い出しても胸が締め付けられます。
家について座っていても、なかなか痛みは引きませんでした。
心配した母親が、病院に連れて行ってくれました。
そこで「椎間板ヘルニア」と診断されました。
(のちに、違う病院では「すべり症」「脊柱管狭窄症」と診断されました。
それからというもの、
私の青春は「痛み」というフィルター越しにしか見ることができなくなりました。スポーツに打ち込む同級生を羨望の眼差しで見つめ、何をするにも「痛みがひどくなったらどうしよう」という恐怖が先回りする。
楽しいはずの旅行も、美しい景色も、常に痛みの影がつきまとっていました。見て見ぬふりをしようとしても、体の痛みには敵いません。
根性でなんとかなるという人は、本当の痛みを知らない人です。
だって、動かすことができないのだから。
麻酔を打っても、整体に通っても、私の腰が劇的に良くなることはありませんでした。
そんな「心と体を削る日々」を数十年も耐え抜いて、ようやく気づいたんです。
「自分を大切に扱うための環境作りは、贅沢なんかじゃない。それは、生き残るための『生存戦略』なんだ」
[風景写真:柔らかい光が差し込む部屋と、自分を優しく支えてくれるお気に入りの椅子の写真]
足に馴染むスニーカー、体を芯から支えてくれる椅子。
それは自分を甘やかしているのではなく、贅沢でもなく、自分が自分らしく、凛と立ち続けるために絶対に必要な「投資」なのです。
移動時間は「自分を甘やかす」聖域。
私は、車の免許を持っていません。
正確には、昔持っていたけれど、更新を忘れてしまっていて、なくなりました。
軽自動車、トラック、地を這うようなスポーツカー……。あらゆる助手席に乗せてもらった中で、私の全細胞が「これだ!」と叫んだのが、アルファードでした。
[風景写真:贅沢な広さの車内シートと、窓の外に広がる旅の景色]
それはもはや車ではなく、「ファーストクラスの部屋がそのまま移動している」ような感覚でした。
長距離の移動でも、まるでベッドに横たわっているかのように深く眠れる。狭い場所でじっとしているのが何より辛い私の体にとって、寝返りが打てるほどの広さは、言葉にできない救いでした。
「環境が、これほどまでに人をリラックスさせ、回復させるのか」
この衝撃は、私の美学を決定づけました。
将来、家族で車を持つなら、私は迷わずこのクラスを選びます。
体が弱ってきた両親にもリラックスしてもらえるし
何より、痛みと闘いながらここまで歩いてきた自分を、世界で一番心地よい場所に置いてあげたい。
「誰の指図も受けず、自分の快適さを自分で選ぶ」
もし今、何かに苦しんでいて、周りに理解されず孤独を感じている人がいたら、どうか自分を一番後回しにしないで。
「我慢」が美徳なんて嘘っぱちです。
自分を安全な環境に置き、心を安定させる。そこからしか、本当の能力は開花しないと思っています。自分を幸せにできるのは、世界であなた一人だけなのですから。
「何を食べるか」は「どう生きるか」。救いの手作りごはん
食についても、私は長い迷路を歩いてきました。
かつては忙しさに流され、刹那的な食事で自分を誤魔化していました。
カップラーメンや、スティック状のお菓子、ご飯にキムチだけ……。好きなものを好きなだけ食べるのが自由だと思っていた時期もありました。
でも、心がトゲトゲして、砂漠のように乾いている時こそ、実は「食」が救いになるんですよね。
[風景写真:お鍋から立ち上る真っ白な湯気と、丁寧に用意された一汁一菜の食卓]
どんなに疲れていても、自分で野菜を切り、お鍋を火にかける。包丁がまな板を叩くトントンという音。お出汁が香る瞬間。その無心になれる時間が、荒んだ心を解いてくれます。
料理を始めると、毎日ご飯を作ってくれた母親の、あの静かな愛に気づかされます。当たり前だと思っていた食事は、私の命を守るための祈りだったのだと。
両親には反発ばかりしてきたけど「本当にありがとう」という言葉が、いまでは自然と溢れてくるようになりました。
「美味しいね」と自分を労わりながら食べる時間は、自分との信頼関係を取り戻すための、神聖な儀式のようなものです。
一杯のお茶。急須が繋ぐ「本音」
私はずっと、人見知りで、人に指図されるのが死ぬほど嫌いで、人間関係を築くのが苦手でした。
「一人が好き」と強がりながら、夜になると「私は誰からも愛されていないんじゃないか」という底なしの孤独に震える……そんな矛盾だらけの人間でした。
かつて、別れが近づいていた恋人がいた時、私は必死に「鉄の急須」を探していました。
本当は、ただ彼と一緒に温かいお茶を飲み、安心して寄り添いたかった。けれど、当時の私は性格がねじれていて、どうしても素直に「寂しい」と言えなかった。
結局、彼とゆったりと家でお茶を飲む夢は叶いませんでした。
けれど、シャングリラホテルのラウンジで飲んだあのアールグレイの香りや、沖縄のカフェで過ごした時間は、今でも私の心の中に飾ってあります。
[風景写真:武夷山の岩肌を思わせる深い色合いの岩茶(がんちゃ)と、風格のある急須]
次に誰かと人生を共にするなら、絶対に「お茶をゆっくり飲める人」がいい。
かつて、知人が紹介してくれた人と、結婚話もありましたが、私はお別れを選びました。
私の理想とする「静かな幸せ」を共有できないのなら、それは私の居場所ではないと思ったからです。
「一人は嫌。でも、魂が通わない人と一緒なのはもっと嫌」
そんな私を包み込んでくれたのが、お茶との出会いでした。
日本茶、中国茶、台湾茶。
特に、中国の武夷山(ぶいさん)の厳しい岩肌で育つ、力強いエネルギーを秘めたお茶。岩茶を一口飲んだ瞬間に、大地のパワーが体に染み渡り、ざわついた心がすーっと静まる感覚。
一杯の急須で丁寧に淹れたお茶を、安心して、本音で、誰かと分かち合える。
お茶は、心と心の距離を縮めてくれる魔法です。自分の本音をさらけ出し、相手の本音も優しく受け止める。そんな場所を、私はこれからも大切に守っていきたい。
自立とは、孤独になることではない。
自立するということは、一人で何でも背負い込み、歯を食いしばって生きることではありません。
自分の「痛み」を認め、それを補ってくれる上質な環境を自分に与え、大切な人と温かいお茶を飲む。
私は、そんな「しなやかで温かい自立」を目指して、歩き続けます。
もしあなたが今、孤独や痛みを感じているなら、今夜は自分の一番好きなお茶を、急須で丁寧に淹れてみてください。
その15分間が、あなた自身の「新しい物語」の始まりになるはずです。
いつかあなたとも、そんな温かい一杯を分かち合える日が来ることを願って。
単に高いものを買い漁ることが目的なんじゃない。「なぜ、その一品が、他の誰でもない私自身の魂を震わせるのか?」「なぜ、その環境が、私の生命エネルギーを根源から底上げしてくれるのか?」それを誰にも遠慮することなく理解し、自らの意思で選び取ること。それこそが、一人の自立した女性として、凛としてこの複雑な社会を生きていくための「本当の矜持」であり「生存戦略」だと信じているからです。
1.中学2年生、夕焼けが残酷に見えたあの日
私が、これほどまでに「自分を取り巻く環境の心地よさ」に執着し、一分の妥協も許さなくなったのには、あまりにも切実で、誰にも言えなかった原体験があります。
私は、中学2年生の頃から「坐骨神経痛」という、鋭く冷酷な痛みの同居人と共に生きてきました。今の私なら、同じような悩みを抱える人と「今日、天気が悪いから腰に来るよね」と冗談交じりに笑い合えるかもしれません。でも、多感で、周囲の目を何より気にしていた思春期の入り口にいた少女にとって、それは世界の終わりを告げる絶望のファンファーレでした。
何か激しいスポーツをしていたわけでも、大きな事故に遭ったわけでもありません。ただの、ありふれた、どこにでもある学校の帰り道でした。夕日が校舎をオレンジ色に染め上げる中、突然、腰から足の先まで、まるで青白い稲妻が駆け抜けるような、経験したことのない衝撃的な痺れと痛みが走ったのです。
楽しそうに笑いながら、カバンを振り回して軽やかに走っていく友達の背中。私一人だけが、アスファルトの上に立ち尽くし、一歩踏み出すたびに脊髄を直接削られるような激痛に震え、涙をこらえながら地面を這うようなスピードで家を目指す。あの時、刻一刻と暗くなっていく道で、遠ざかっていく仲間の声を孤独に聞き届けていた時の絶望的な疎外感は、数十年の時を経た今でも、私の胸の奥をキリリと締め付けます。
それからというもの、私の青春は「痛み」という分厚い曇りガラス越しにしか、外の世界を見ることができなくなりました。病院をいくつも巡り、ある診察室では「椎間板ヘルニア」、また別の場所では「すべり症」と告げられる。スポーツに情熱を注ぐ同級生を、ただただ羨望と自己嫌悪の入り混じった眼差しで見つめ、何をするにも、どこへ行くにも「もし途中で歩けなくなったら?」「痛みが爆発したらどうしよう」という恐怖が、私の影のように常に先回りして付きまとってきました。
恋人と行くはずだったテーマパークも、家族との美しい温泉旅行も、私の記憶の中では常に痛みの影に侵食されていました。見て見ぬふりをしようとしても、体は残酷なまでに正直です。ブロック注射を打ち、有名な整体師にすがり、ありとあらゆる治療法を試しても、私の腰が奇跡のように完治することはありませんでした。
そんな「心と体を、静かに、確実に削り続ける日々」を数十年も耐え忍び、ようやく、本当にようやく気づいたんです。
「自分が最も心地よいと感じる環境を整えることは、贅沢でも甘えでもない。それは、私が私として凛と生き抜くための、尊厳をかけた『生存戦略』なんだ」
足のアーチを完璧に支えてくれるスニーカー、長時間座っても骨盤を優しくホールドしてくれる椅子、肌に触れた瞬間に心が安らぐ素材の服……。それは決して自分を甘やかしているのではない。痛みに屈せず、誰のせいにもせず、自分の足で人生というステージを歩き続けるために、私が私のために用意した「聖域」なのです。
それはもはや、単なる「乗り物」の域を超えていました。「五つ星ホテルのラウンジが、プライバシーを守られたまま目的地まで移動している」そんな錯覚に陥るほどの圧倒的な静寂と、豊かな空間。狭い場所に押し込められることが、坐骨神経痛を抱える私にとってどれほどの肉体的・精神的苦痛であるか。それを、この車はすべてを包み込む包容力で解消してくれたのです。
移動中に、まるで自宅のベッドにいるかのように深く、混じりけのない眠りに落ちる。目が覚めた時には、体が軽くなっている。「環境を整えるだけで、これほどまでに人間は再生し、魂を回復させることができるのか」
この衝撃的な体験は、私の人生の美学を根底から変えました。いつか家族を持ち、誰かと共に人生を走るなら、私は迷わずこのクラスの空間を選択します。年老いて体が弱ってきた両親を、この最高に優しいシートで包み込みたい。そして何より、今日まで必死に、痛みに耐えながら歩いてきた「ぽめ」という自分自身を、世界で一番大切に、誇り高く扱ってあげたい。
「誰の指図も受けず、自分の快適さを、自分の責任で選び取る」
これこそが、私が理想とする「真の自立」の姿です。もし今、この記事を読んでいるあなたが、何かに苦しみ、誰にも理解されない孤独の中で自分を責めているとしたら、どうか、自分を二の次にするのは今日で終わりにしてください。
「我慢することこそが美しい」なんて、それは誰かがあなたを支配するために都合よく作った嘘です。自分を最高の環境に置き、心を凪の状態に整える。そこからしか、あなたの本当の才能も、本当の優しさも溢れ出してはきません。自分を幸せにできる最高かつ唯一の責任者は、世界中であなた一人だけなのです。
環境と同じくらい、私の「自立」を支える重要な柱が「食」です。ここでも、私は長い、長い迷走の時期を過ごしてきました。
かつての私は、仕事の忙しさやストレスを言い訳に、自分の体をゴミ箱のように扱っていました。深夜に流し込むカップ麺、コンビニの菓子パン、空腹を満たすためだけの冷めた弁当……。「好きな時に、好きなジャンクフードを食べるのが自由なんだ」と、愚かにも勘違いしていた時期がありました。
でも、人生がうまくいかず、心がトゲトゲの針だらけになり、まるで砂漠のようにカラカラに乾いていた時、私を奈落の底から引き上げてくれたのは、一皿の、なんてことのない「手作りごはん」でした。
どんなに絶望していても、自分で大根を切り、お鍋を火にかける。包丁がまな板を叩くトントンという規則正しい音。お味噌が溶け、湯気と共に優しい香りが部屋中に広がる瞬間。その、無心に手を動かすだけの時間が、ささくれ立った私の心を、まるで柔らかい真綿で包むように癒やしてくれました。
料理を始めてから、私は気づいたのです。幼い頃、毎日当たり前のようにご飯を作ってくれた母親の、あの静かな、けれど深い愛情に。何気ない一汁一菜は、私の命を明日へ繋ぐための、母の「祈り」そのものだったのだと。「お母さん、本当に、本当にありがとう」その言葉が、熱い涙と共に溢れ出してきたとき、私は初めて自分自身を許すことができた気がします。
「今日は何を食べて、私を喜ばせてあげようか」そう自分に問いかけながら、丁寧に食材を選び、味を整える時間は、失われた自分への信頼を取り戻すための、神聖な「自己対話」の儀式なのです。
最後に、私の人生に欠かせない「お茶」の話をさせてください。私はずっと、極度の人見知りで、人にコントロールされるのが死ぬほど嫌いで、誰かと深い関係を築くことに臆病な人間でした。「一人が一番楽なんだ」と強がりながら、夜の静寂の中で「私はこのまま、誰にも看取られず消えていくのかな」という底なしの孤独に震える……。そんな、壊れやすい矛盾を抱えて生きてきました。
かつて、別れが刻一刻と近づいていた大切な人がいた時。私は必死に、ある「鉄の急須」を探し歩いていました。本当は、ただ、彼と一緒に温かいお茶を飲みたかった。「寂しいよ、行かないで」と言えばよかったのに、当時の私は性格がねじ曲がっていて、どうしてもその一言が言えなかった。だから、せめてお茶を淹れるという行為で、消えゆく縁を繋ぎ止めようとしていたのかもしれません。
今の私が求めているのは、かつてのような「形だけの繋がり」ではありません。魂の深い部分で共鳴し、お茶をゆっくり、何時間でも一緒に楽しめる人。かつて、自分の行きたい場所ばかりを優先し、お茶の時間を「無駄な時間」と吐き捨てた人との結婚話もありましたが、私は自らその道を断ち切りました。私の理想とする「静寂の中の豊かさ」を共有できないのなら、それは私の魂が望む居場所ではないとはっきりわかったからです。
そんな孤独な私を、ある日優しく包み込んでくれたのが、「岩茶(がんちゃ)」との衝撃的な出会いでした。中国の武夷山(ぶいさん)の、切り立った厳しい岩肌。土すらないような過酷な環境で、岩からミネラルを吸収して育つ、強靭な生命力を秘めたお茶。
あの一口飲んだ瞬間に、全身の細胞が目覚めるような、大地のエネルギーが脊髄を駆け巡る感覚。ざわついていた私の心が、凪いだ海のようにすーっと静まっていく……。「私は、このままでいいんだ。岩肌に咲く花のように、私の場所で、私らしく輝けばいいんだ」
一杯の急須が、バラバラになりそうだった私の心を一つに繋ぎ止めてくれました。お茶は、単なる飲み物ではありません。それは、自分自身の本音と向き合い、大切な誰かと魂の言葉を分かち合うための、魔法のツールです。私はこれからも、この一杯のお茶を丁寧に淹れ、私自身の心を整え、そしていつか、同じ感性を持つ誰かとその幸せを分かち合いたい。
自立するということは、決して孤独な氷の城に閉じこもることではありません。
自分の「痛み」をありのままに認め、それを優しく補ってくれる上質な環境を自分にプレゼントし、大切な人と、あるいは未来の自分と、温かいお茶を飲む。
私は、そんな「しなやかで、温かく、決して折れることのない自立」を目指して、一歩ずつ歩き続けます。もしあなたが今、痛みや孤独の闇の中にいるのなら、どうか今夜は、自分を責めるのをやめて、一番お気に入りのお茶を、急須でゆっくりと淹れてみてください。
茶葉が開き、香りが立ち上がるその15分間。それこそが、あなた自身が人生の主役として輝き始める、輝かしい「建国記念日」になるはずですから。
いつか、画面越しのあなたとも、そんな極上の一杯を分かち合える日が来ることを。お茶の香りに願いを込めて。